こんばんわ、ポイ積 純一郎です。
ブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」という本を読みました📚
ポイ積これが2021年に読了した最後の本ですが、合計45冊、目標の50冊には届きませんでした…反省😌
色々な書評で取り上げられておりますので、ご存知の皆さんが多いのではないかと思いますが、サブタイトルに「アナーキック・エンパシーのすすめ」とある通り、「エンパシー」=意見の異なる相手を理解する知的能力(シンパシーとは異なる)を主題として、この多様性の時代に他者を学ぶこと、考えること、想うことについて語った一冊です。
ビジネスの場においても、いろいろ参考になったおすすめの1冊でした。
以下のメモは自分の記録ですが、どんなことが書いてあるかの参考にもなると思います。
【読書メモ】
「私たちは自分をモデルに他者を理解しようとするがゆえに、世界には不幸(と、もらっても嬉しくない誕生日のプレゼントが絶えないのである。」「自分が人にしてもらいたいと思うこと」は「他人が人にしてもらいたいと思うこと」とは違うものだ。
「傍観者」とは、ディスカッションや対話、アクティヴィティなどに参加しようとしない人、聞いているフリをしているだけで無関心な人、自己開示しない人、嘘をついたり、正直に言わない人。ミーティングでは「傍観者」ではなく「参加者」になること。
「利己的な人は外界を、自分がそこから何を得られるかという観点からのみ見る。他人の欲求に対する関心も、他人の尊厳や個性に対する尊敬の念も、持たない。利己的な人には自分しか見えない。」だから根本的に利己的な人間は「愛することができない」。
ニーチェ的に言えば「客観的な人間」こそが問題なのである。エンパシーに長けた人は、フラットに物事を見るために自分を捨ててしまうので、自我がなくなるというのだ。現代でも「両論併記はやめろ」とか「どっちもどっちという人は結局何も言っていないから卑怯」という意見もあるが、これらもニーチェの議論の延長線上にあるかもしれない。
ストックホルム症候群は極端な形の結婚生活にもみられるのではないか。DVは必ずと言っていいほどエスカレートする。それを知っていながら「いや、この人も辛いのだから」「こんなことを相手にさせてしまう自分の態度が悪かったのだ」と、被害者が加害者の靴を履き続けるために取り返しのつかない結果になってしまうケースは多い。
エンパシーは抑圧的な社会を作り、サディスティックに他者をいじめる燃料になり、毒親やテロリストの成分ともなって、エンパシーに長けた人こそドナルド・トランプのような指導者に弱い。
エンパシーは我々が一つではなく、複数の世界に住むことを可能にしてくれる。
「アナーキー」は暴力や無法状態と結び付けて考えられやすい。しかし、その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協議し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。そう思えば、機能しなくなった場所、楽しさも元気もない組織、衰退している国などにこそ「アナーキー」のマインドセットは求められている。